うるくニッポン(小禄日本)放送
第11回「うるくま~い」の様子
oroku
2016年03月18日 18:00
第11回「うるくま~い」が、平成28年3月13日(日)に行われました。
豊見城市の
石火矢橋(イシバーシ)
、南斎場(旧豊見城火葬場)付近で14:00に集合し、
案内人の赤嶺秀義(
豊見城龍船協会
事務局長)氏の説明からスタートしました。
今回は、小禄との関係が深い「豊見城(てぃみぐしく)ま~い」です。
真珠道の豊見城コースと石火矢橋について説明の後、
豊見城城址公園内に移動し「ハーリー発祥の碑」「豊見瀬ウタキ」を視察。
■石火矢橋(いしひやばし)「イシバーシ」
石火矢橋は、豊見城グスクの南東を流れる饒波川下流に架かる橋で、
戦前まで美しい曲線のアーチと、それを支える独特な形の橋脚が連なる
5連の石造アーチ橋であった。・・・
石火矢橋(イシバーシ)説明板
■真珠道(豊見城コース)
沖縄県「空手道会館」建設基本計画2より
■豊見城城址公園内へ
沖縄県「空手道会館」建設基本計画
豊見瀬御嶽及び周辺御願所について
■ハーリー発祥の地
沖縄県豊見城市商工会 ≫ 豊見城歴史・文化財
ハーリーの原点『ハーリー由来まつり』|沖縄CLIP
■豊見瀬ウタキ
豊見城市観光協会 知る・学ぶ・歴史探訪
■布織地(ヌヌバタジー)
・豊見城グスク北側にある「チーヤ(津屋)」の近くに麻や綿を栽培していた。(豊見城の字誌)
・エーラグムイ(藍染め用の池)があった。(豊見城の字誌)
チーヤ(津屋)説明板
・1609年、尚寧王(しょうねいおう)のお供で儀間真常は薩摩に渡り、
翌年に綿の種を持ち帰り、自分の畑で栽培した。
・1612年、那覇泉崎に住んでいた日本娘梅千代(うめちよ)、実千代(さねちよ)を
連れてきて織子をさせた。
それが近隣にも広がった。(「豊見城村史」第十一章 村の風俗習慣)
・織子2人を祀った祠(梅千代・実千代)と伝わるが詳細は不明(聞き取り伝承)。
現在、布織地(ヌヌバタジー)は、雑草が茂り立入れない状況で説明のみでした。
・琉球古典音楽にはスローテンポな「小禄豊見城節」があり、
民謡では軽快なテンポ「三村踊り節」(取奉納行節)として広く知られている。
小禄クンジー(小禄紺地・うるくクンジー)
沖縄県「空手道会館」建設基本計画
より
ヌヌバタジー(布織地)
2022.02.06.追記
織り娘の墓と伝わるが、詳細は不明。
大きな岩の上に誰かが勝手に設置した香炉が4つ置かれている。
・・・つづく
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