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2015年03月15日
第10回「うるくま~い」那覇空港近隣
平成27年3月12日(木)に「うるくの歴史と文化を語る会」主催のうるくま~いに参加しました。
13:30 赤嶺自治会館 集合・参加人数20名

14:00 マイクロバスにて出発


・那覇空港近隣
(1)ティージクンガー
うるくぬ んかしばなし



空港近くのウガンジュ(沖縄エアポートサービス(株)創立30周年記念誌より)
那覇空港国内線ターナルビルから国際線ターミナルビルに向かう道路沿いにウガンジュ(拝所)が完成した。
和昭53年2月3日午前10時すぎから航空関係者を集めて落成式が行われた。同ウガンジュは
酉之宮大里(とりのみやおおざと)と呼ばれ、酉は西の方向を示す意味、旧小禄間切の鏡水にあった多くのウガンジュが、現在空港地域に散在して、地域の人たちのウガミ(拝み)ができなかったため、那覇空港ターミナル社の配慮によってウガンジュを1ヶ所に集めるかたちで建てられた。
このウガンジュでは毎年2月、空の安全、会社の繁栄、社員の健康を祈念する「航空安全祈願祭」を那覇空港ター関係者が一同に集い執り行っている。

・那覇航空交通管制部内
(2)安次嶺「先原崎灯台跡」→戦前の沖縄、今に伝える…







先原埼灯台跡(那覇市) 戦跡と証言 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ NHK 沖縄放送局
(3)鏡水の拝所「イシマシガー」




石碑より
古来「イシマシガー」は鏡水原135番に位置し
我々、鏡水の先人方が使用した貴重な井戸(湧水)
今般、那覇空港総合ターミナルビル建設により
この地に、拝所として移設された 平成5年1月吉日 鏡水自治会

・航空自衛隊那覇基地内
(4)当間「沢岻門中墓」にあったクワーデーサー(大木)の移植(航空機展示場)



沢岻門中墓にあったクワーデサー移植
小禄飛行場及び周辺は米軍の砲爆撃により、草木1本生えていない状況において、沢岻門中墓にあったクワーデサーは無傷で生き延びた樹木であるために庁舎新設の時、現在地に移植ある。
(5)当間「旧海軍砲台跡地」





(6)具志「桃原泉(トウバルガー)」




・桃原泉(トウバルガー)の由来
具志集落には戦前から神聖ば場所として崇められていたウッカー、ヌールガー、 トウバルガーの三湧泉があった。
戦後その内の一つである桃原泉は米軍によって埋められ、人々の記憶からも忘れられようとしているとの話から調査を始めたところ、那覇基地内において、米軍の造ったコンクリート路面の下から、桃原泉が発掘された。
平成3年2月24日、昔日の面影そのままに復元された。
井戸の大きさは普通であり、その下に石積みの所があり、おもに生活用水として利用されていた。 池の大きさは約100坪程度であり、水深は1~1.2m程度であった。 また、近くに製糖工場があり、製糖工場で働いた馬の体を洗ったり、子供たちの水遊び場としても利用していた。
13:30 赤嶺自治会館 集合・参加人数20名
14:00 マイクロバスにて出発

・那覇空港近隣
(1)ティージクンガー

空港近くのウガンジュ(沖縄エアポートサービス(株)創立30周年記念誌より)
那覇空港国内線ターナルビルから国際線ターミナルビルに向かう道路沿いにウガンジュ(拝所)が完成した。
和昭53年2月3日午前10時すぎから航空関係者を集めて落成式が行われた。同ウガンジュは
酉之宮大里(とりのみやおおざと)と呼ばれ、酉は西の方向を示す意味、旧小禄間切の鏡水にあった多くのウガンジュが、現在空港地域に散在して、地域の人たちのウガミ(拝み)ができなかったため、那覇空港ターミナル社の配慮によってウガンジュを1ヶ所に集めるかたちで建てられた。
このウガンジュでは毎年2月、空の安全、会社の繁栄、社員の健康を祈念する「航空安全祈願祭」を那覇空港ター関係者が一同に集い執り行っている。

・那覇航空交通管制部内
(2)安次嶺「先原崎灯台跡」→戦前の沖縄、今に伝える…

(3)鏡水の拝所「イシマシガー」
石碑より
古来「イシマシガー」は鏡水原135番に位置し
我々、鏡水の先人方が使用した貴重な井戸(湧水)
今般、那覇空港総合ターミナルビル建設により
この地に、拝所として移設された 平成5年1月吉日 鏡水自治会

・航空自衛隊那覇基地内
(4)当間「沢岻門中墓」にあったクワーデーサー(大木)の移植(航空機展示場)
沢岻門中墓にあったクワーデサー移植
小禄飛行場及び周辺は米軍の砲爆撃により、草木1本生えていない状況において、沢岻門中墓にあったクワーデサーは無傷で生き延びた樹木であるために庁舎新設の時、現在地に移植ある。
(5)当間「旧海軍砲台跡地」
(6)具志「桃原泉(トウバルガー)」
・桃原泉(トウバルガー)の由来
具志集落には戦前から神聖ば場所として崇められていたウッカー、ヌールガー、 トウバルガーの三湧泉があった。
戦後その内の一つである桃原泉は米軍によって埋められ、人々の記憶からも忘れられようとしているとの話から調査を始めたところ、那覇基地内において、米軍の造ったコンクリート路面の下から、桃原泉が発掘された。
平成3年2月24日、昔日の面影そのままに復元された。
井戸の大きさは普通であり、その下に石積みの所があり、おもに生活用水として利用されていた。 池の大きさは約100坪程度であり、水深は1~1.2m程度であった。 また、近くに製糖工場があり、製糖工場で働いた馬の体を洗ったり、子供たちの水遊び場としても利用していた。
Posted by oroku at 19:00│Comments(0)
│うるくの歴史と文化を語る会
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